「直」という名の男。
コレが「尚」であったなら、佇まいと相俟ってネタになりかねない。

同じ創り手として創り出される作品の話をする必要を感じない。
何故なら、良く喋り文章を書きなぐる程に創るという行為に対して
言葉が如何に無力かが解ってしまうからそうなる。
創るという行為の中でだけ解る事が在り、
それは言葉にならないので作品として完成される。
創り手で無いとしても、作品を見て、手に取り、身に着ける。
その行為から感じ取る事が全てで、真実は其処に在る。
となれば、言葉と創り出された作品は、別の場所に存在すべきなのだが、
人が感じた何かを誰かに伝えたり説明しようとする時は、言葉が必要となる。
だが、真実を語る権利を提供し、それが伝え説かれる事が「legend」ならば、
ここでは創り出される作品の話をする必要を感じない。

長い前置きを終わりにして冒頭の言葉に戻ろう。
「直」という名の男。
行動がストレートであるとか、直感を大事にするとか、
姿勢が真直ぐという類いの話ではなく、物事に対する向きあい方。
人は真直ぐな物に対した時、自分が歪んでいれば歪んでいる程、
対象を歪んでいると感じる。
自己の存在を正当として保つ為に普通という言葉を使うのと同じ様に、
真直ぐで無い自分を保つ為に相対した物を真直ぐで無いとする。
世の多くがそうする事を常としている中。
「直」という名の男。
その姿勢、大事にしてるもの、その感情。
もっと書こうか。
その場所、常である佇まい、その行動。
その空気、見えてくる表情、その言動。
信じる事で実らせる信実と真直ぐである事の真実。
全てが世の中にとって正しいとは限らないが、
世の中に対して真直ぐに向き合ってる事は間違い無い。
それが俺の解っている「吉原 直」って男だ。
名が体を表すのか体が名を示すのか、
そいつはテメ?で考えな。

高蝶智樹/REFUSE

2008-10 富山英三郎
2008-04 NERVES SYSTEM ・佐藤 大典

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